はじめに
ホテル業界は、観光需要の回復に伴い活況を呈していますが、その裏側で深刻な人手不足という課題に直面しています。特に、宿泊施設の「顔」ともいえる料理を提供する調理部門では、その傾向が顕著です。求職者の皆さんの中には、「ホテル業界の調理師って、本当にブラックなの?」「働きやすい職場はあるのか?」といった疑問や不安を抱いている方も少なくないでしょう。
本記事では、ホテル業界に精通したアナリストの視点から、ホテル・旅館の調理部門が抱える労働環境の実態と、その改善に向けた最新の取り組み、そして調理師としてのキャリアパスの可能性について深く掘り下げていきます。特に、2024年に実施された国土交通省観光庁の調査報告書から得られた具体的な事例や施策を元に、調理部門の「今」と「未来」を考察します。
ホテル・旅館の調理部門が抱える「ブラック」イメージの真実
ホテル・旅館の調理部門は、しばしば「長時間労働」「休日の少なさ」「厳しい上下関係」といったイメージが先行し、敬遠されがちです。これらのイメージは、残念ながら業界が長年抱えてきた構造的な課題に起因するものであり、完全に払拭されたとは言えません。
長時間労働と休日の少なさ:根深い課題
国土交通省観光庁が2024年にまとめた「ホテル・旅館における調理部門の人手不足対策事業」の報告書では、調理人確保における最大の課題として、「長時間労働や休日の少なさなど、業界特有の勤務条件への不満が根強い」ことが挙げられています。特に、朝食準備から夕食の仕込み、宴会対応など、多岐にわたる業務をこなす調理師は、拘束時間が長くなりがちです。
また、旅館やリゾートホテルでは、繁忙期に客足が集中するため、休日取得が難しいという実情もあります。これは、ワークライフバランスを重視する現代の求職者にとって、大きな障壁となっています。
若手の定着率の低さと人材確保の難しさ
同報告書は、もう一つの課題として「調理師免許保有者や経験者の確保が難しく、若手の定着率が低い」点を指摘しています。特に和食を志す若い世代の減少は深刻で、伝統的な調理技術の継承にも影響を及ぼしかねません。さらに、地方の宿泊施設では、地域全体の労働人口減少により、採用活動がより一層困難になっています。
参考:宿泊業・飲食サービス業の離職率の高さ
厚生労働省のデータによると、宿泊業・飲食サービス業の新卒離職率は、残念ながら全産業の中でワースト1位の51.5%に達しています。これは、入社3年以内に半数以上の新卒者が離職していることを示唆しており、調理部門も例外ではありません。この高い離職率は、業界全体の労働環境に対する不満の表れとも言えるでしょう。
参照元:【ホテル業界のホワイト企業ランキング30選】ホテル業界の優良 …
このような状況は、調理師を目指す人々にとって「本当にこの業界で働き続けられるのか」という不安を募らせる要因となっています。しかし、業界全体がこの課題に真剣に向き合い、改善に向けた具体的な取り組みを進めていることも事実です。
「働きやすい会社」へ変貌を遂げる調理部門の取り組み
調理部門の「ブラック」イメージを払拭し、魅力的な職場へと変革しようとする動きが、今、各地のホテル・旅館で加速しています。特に、労働環境の改善、キャリア形成支援、そしてオープンなコミュニケーション体制の構築が、その中心となっています。
労働環境の改善:柔軟な働き方と効率化
長時間労働の是正と休日確保は、調理部門にとって喫緊の課題です。報告書では、先進事例として以下の取り組みが紹介されています。
- 献立の種類を絞り、効率化を図る:提供する料理の種類を見直すことで、仕込みや調理にかかる時間を短縮し、労働負担を軽減。これにより、質の高い料理提供と労働時間短縮の両立を目指します。
- シフト制の柔軟な運用と長期休暇の取得:シフト制を工夫し、週ごとの業務量に応じて労働時間を調整。繁忙期以外は8時間労働を基本とし、閑散期には早帰りを奨励するなど、柔軟な働き方を導入する施設も増えています。また、シフト調整によって長期休暇の取得も可能となり、従業員のリフレッシュを促しています。
- 従業員寮の提供など福利厚生の充実:特に地方の施設では、遠方からの採用を促進するため、従業員寮を完備するなど、生活面でのサポートを強化しています。
これらの取り組みは、単に労働時間を短縮するだけでなく、従業員が心身ともに健康で、長く働き続けられる環境を整備することを目指しています。
ホテル業界の働き方改革事例集:人手不足を乗り越える先進企業の取り組みでは、さらに広範な働き方改革の事例が紹介されています。
キャリア形成とやりがい:若手育成と成長機会の提供
若手調理師の定着率向上には、やりがいを感じられる環境と明確なキャリアパスが不可欠です。報告書からは、以下のような積極的な育成・支援策が見て取れます。
- 責任ある仕事とメニュー開発への参加:若手にも早期から責任ある仕事を任せ、やる気のある者にはメニュー開発や打ち合わせに積極的に参加させることで、主体性を育み、成長の機会を提供しています。
- 実力に応じた役職付与とキャリアアップ:実力が認められれば、年齢や経験年数に関わらず役職を与えることで、モチベーション向上とキャリアアップを支援します。
- 外部研修や人事交流によるスキルアップ:外部のレストランでの食事を通じて他店の料理を学ぶ機会を設けたり、他の旅館との短期的な人事交流や調理コンテストへの参加を促したりすることで、調理技術やマネジメントスキルの向上を図っています。
これらの取り組みは、調理師が単なる作業者ではなく、創造性を発揮し、自身のスキルを磨き続けられるプロフェッショナルとして成長できる土壌を育んでいます。
ホテル業界における長期キャリア形成:持続可能な成長を支える人材戦略も合わせてご参照ください。
オープンなコミュニケーションとフィードバックの仕組み
調理場における厳しい上下関係は、若手調理師が意見を言いにくい環境を作り、離職の一因となることがあります。これを改善するため、多くの施設でフィードバックの仕組みが導入されています。
- 定期的な部署責任者会議:月に一度、各部署の責任者が集まり、改善点を話し合うミーティングを実施。調理場の若手も参加し、意見を出す機会が与えられています。
- 経営者との一対一面接:月1回の調理場会議に加え、経営者が調理人との一対一面接を行うことで、現場の声を直接吸い上げ、改善に繋げています。
このようなオープンなコミュニケーションは、風通しの良い職場環境を作り出し、若手調理師が安心して意見を表明できる文化を醸成しています。
外国人材の活用と制度整備の必要性
日本の労働人口減少が続く中、外国人材の活用はホテル業界、特に調理部門にとって不可欠な選択肢となりつつあります。
調理人ビザの課題と今後の展望
報告書では、外国人労働者の活用を検討しているものの、「調理人として働けるビザの問題があり、これを解決する制度の整備が求められる」という課題が提起されています。現状では、主に通訳業務などで外国人を雇用しているケースが多いですが、調理人としてのビザが取得できるようになれば、人材確保の可能性は大きく広がると考えられています。
2025年現在、政府は特定技能制度の拡充など、外国人材の受け入れを拡大する動きを見せており、調理人としての就労ビザに関する制度も、今後さらに柔軟化される可能性があります。これは、多様なバックグラウンドを持つ人材が日本のホテル・旅館の調理場で活躍する未来を示唆しています。
外国人材の受け入れと定着については、ホテル業界で活躍する外国人材:採用成功とマナー教育のポイントも参考になります。
多様な人材との交流がもたらす新たな価値
外国人材の活用は、単なる人手不足の解消に留まりません。報告書では、イタリアンシェフを招いて地域の食材を使ったメニュー開発や勉強会を実施した事例が紹介されており、他の旅館のシェフとも交流を深め、新たな食の創造に繋がったとされています。多様な食文化や調理技術を持つ人材が加わることで、ホテル・旅館の料理はさらに進化し、顧客体験の向上にも貢献するでしょう。
先進事例から学ぶ調理部門の未来
具体的な取り組みを通じて、調理部門の労働環境改善と人材育成に成功している先進事例をいくつかご紹介します。これらの事例は、求職者にとって「働きやすい会社」を見極める上でのヒントとなるでしょう。
あつみ温泉たちばなや(山形県)の事例(2024年10月調査)
山形県鶴岡市にある「あつみ温泉たちばなや」では、調理人の維持・定着に向けて以下の取り組みを行っています。
- 和気あいあいとした職場環境:調理場では厳しい上下関係を避け、風通しの良い雰囲気作りを心がけています。
- 若手への権限委譲:若手にも責任ある仕事を早期に任せ、やる気のある者にはメニュー開発や打ち合わせに参加させることで、成長の機会を提供しています。
- 労働時間の調整と効率化:献立の種類を絞り、効率化を図ることで労働負担を軽減。質の高い料理提供と両立させています。
- シフト制と長期休暇:休日はシフト制で調整し、長期休暇も取得可能です。
- フィードバックの仕組み:月に一度、各部署責任者が集まるミーティングに若手も参加し、意見を反映しやすい環境を構築しています。
この事例からは、単に労働時間を減らすだけでなく、若手が主体的に業務に関わり、自身の成長を実感できるような「働きがい」を重視していることが伺えます。
水織音の宿山水荘(福島県)の事例(2024年11月調査)
福島県福島市にある「水織音の宿山水荘」も、調理人の定着率向上に積極的に取り組んでいます。
- 新メニュー開発への参加:料理の試作会議や新メニュー開発の場にスタッフを積極的に参加させ、やりがいを提供しています。
- 柔軟な働き方の導入:繁忙期以外は8時間労働を基本とし、閑散期には早帰りを奨励するなど、柔軟な働き方を導入しています。
- 週1回のシフト会議:シフト制を活用し、週1回のシフト会議で業務量に応じて労働時間を調整しています。
- 従業員寮の提供:福利厚生として従業員寮を提供し、生活面でのサポートを充実させています。
- 経営者との直接対話:月に1回の調理場会議に加え、経営者が調理人との一対一面接を行うことで、現場の声を直接聞き、改善に繋げています。
これらの事例は、ホテル・旅館の調理部門が、従業員の働きがいと生活の質を向上させるために、多角的なアプローチで改革を進めていることを明確に示しています。
まとめ:調理部門で「働きがい」を見つけるために
ホテル・旅館の調理部門は、かつての「ブラック」なイメージから脱却し、より働きやすい環境、そしてキャリアアップの機会が豊富な職場へと変貌を遂げつつあります。長時間労働や休日の少なさといった課題は依然として存在しますが、多くの企業が献立の効率化、柔軟なシフト制、若手育成プログラム、オープンなコミュニケーション、そして外国人材の活用といった具体的な施策を通じて、その改善に努めています。
求職者の皆さんが調理部門で「働きがい」を見つけるためには、単に給料の額面だけでなく、以下の点を重視して企業選びをすることをお勧めします。
- 労働時間と休日の実態:シフトの柔軟性、長期休暇の取得実績などを具体的に確認しましょう。
- キャリアパスと育成制度:若手への権限委譲、メニュー開発への参加、外部研修や人事交流の機会があるかを確認しましょう。
- コミュニケーション環境:フィードバックの仕組みや、経営層との距離が近いかどうかも重要なポイントです。
- 福利厚生:従業員寮の有無など、生活面でのサポートも考慮に入れましょう。
2025年現在、ホテル業界全体が人手不足を背景に、従業員エンゲージメントの向上に力を入れています。調理師としての専門性を高めながら、ワークライフバランスを実現できる職場は確実に増えています。ぜひ、自身のキャリアビジョンに合った「ホワイト」な調理部門を見つけて、ホテル業界で輝く未来を築いてください。
ホテル業界全体の待遇や労働環境に関する詳細な情報は、ホテル業界の待遇と労働環境:現状と課題、そして改善への道筋でも解説しています。


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